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2011年1月10日 (月)

雪の丹波路を少しぶらり

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成人の日の今日、丹波地方は未明から雪が降り始め、またまた真っ白に。日の出前、東の空が明るくなってきました。

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今朝の南丹市日吉町の積雪は、だいたい20cmくらい。年末の大雪の際は40cmほど積もりましたが、今回はそれよりは少な目。とはいえ、気温が低いので道路も真っ白になりました。

朝6時前に自宅を出て京都縦貫道を走って日吉に向かったのですが、路面もまっ白、南丹PAあたりからは前方視界もかなり悪くなりました。途中kらは除雪車の後ろをゆっくり走行、八木西ICで除雪車がいったん路肩に退いてくれたのですが、むしろそこからが激しい降雪でさらに視界も悪く、路面の雪も多い状態。

ですが、BS REVO-GZの実力を改めて知らされました。ブレーキング時にしっかりグリップしてロックしにくいのもありますが、滑ったとしてもその“滑り始め”の感覚が実につかみやすいのです。もう一つ、安心して走れたのは、ESPのおかげもあるのでしょうね。カーブなどではメーター内のESPの警告灯もそれなりに点滅してましたが、実に自然な介入で安心感を高めてくれます。

改めて最新テクノロジーってすごいなあ、と感心することしきり。。。

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雪はというと、ずっと降り続けていたわけではなく、時々さぁ~っと雲が途切れ晴れ間ものぞきます。その時の景色といえば、文字通り心が洗われるような気持ちの良い、美しい風景です。

さて、私は朝早くから何をしていたのかというと・・・。

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たくさんの大葉の天ぷらを揚げたり。。。

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こちらはキスの天ぷら。。。

実は、母方の家は伯父が仕出し料理店を営んでいるのですが、忙しい時には私も子供の時から手伝いに行くのです。今日も近くの集落の新年会でということで、たくさんのお弁当の注文をいただいたので、私も助っ人に行ったのでした。

私自身、料理を作ることは普段から大好きなのですが、それは子供のころから祖父母や伯父が料理を作るのをずっと見てきたからかもしれません。学生時代のアルバイトも錦市場の中のお蕎麦屋さんで8年もお世話になっていました。あ、もちろん食べることも大好きですが(笑)で、私の仕事は、天ぷらを揚げること。

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盛り付け参考例(笑)お正月らしく、棒鱈や鯛の子、昆布巻、ぶりの照り焼き、数の子やごまめ、黒豆などもあしらってみました。お造りはカンパチとマグロで紅白に。

今回はこれを30人分ほど作ってお昼前にお届けしました。

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さて、配達が終わって、雪景色を見に行こう、ということでちょっとだけドライブ。午前中、何度か除雪車が出てくれたおかげでお昼頃には道路の雪はほとんど消えていますが、日陰にはまだ雪が残っています。

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四ツ谷集落の岡安神社。調べてみると、室町時代に京都から落ち延びた公家の三条実雅が創建したとか。どうりで、みやびやかな雰囲気のあるいい境内です。

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さこの四ツ谷集落は、京北町周山や美山町などと亀岡や京都とをつなぐ若狭街道の要衝でもありました。福井の小浜から途中峠、大原を経由して京都に至る道は鯖街道として有名ですが、こちらのルートも、いわば西の鯖街道ともいうべき2大ルートのひとつでした。だからかどうか、小さな集落であるにもかかわらず、いろいろと歴史的にも文化的にも興味深いところです。

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四ツ谷集落を貫くように保津川の支流、田原川が流れていますが、その田原川に海老谷川という小さな川がここで合流しています。海老谷川の源頭がある海老谷峠は京都府の自然200選にも選ばれてます。

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こちらが海老谷川。美山町から海老谷峠を越えて四ツ谷に至る峠道は近畿自然歩道にも指定されているんですね。

この海老谷峠、幕末に面白いお話が残っています。新政府軍との戦いに敗れた幕府側の小浜藩士たちは、この道を通って一路小浜を目指していました。途中、この四ツ谷集落で農家に泊めてもらい、そこで草鞋を編んでいたところ、泊まらせてあげたお百姓さんが一風変わった草鞋に興味をもって、そのわらじは「ごんぞうわらじ」と呼ばれる、いわゆる武士が履く武者わらじでした。

丈夫で脱ぎ履きしやすいその草鞋は、やがて大堰川の筏士や船頭たちに広まり、過酷な曳き舟にも愛用されたそうです。

この小浜藩士、きわどいところで難を逃れます。翌朝、出発した彼らですが、入れ替わるように新政府軍の兵士たちが京都をめざして四ツ谷を通りました。もし、一日ずれていれば、それこそ斬り合いが起こって、双方に死傷者が出ていたかもしれません。

ちなみにこの新政府軍は、有栖川宮に呼応して立ち上がった農兵隊である山国隊です。時代祭で先頭を行くことでも知られていますね。彼らは山陰道を東進してきた鳥取藩と合流し、なんと仙台まで遠征することになります。

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海老谷川と田原川の合流点から下流方向を見たところ。どこにでもある小さな川ですが、近代になるまではこの川をたくさんの筏が京都、大阪をめざして下って行きました。

海老谷峠は、若狭の海産物だけではなく、美山町域の材木も牛や馬に引かれて運ばれました。美山町域は由良川水系、つまり日本海側になるのですが、近代になって綾部や舞鶴に軍の施設ができるまでは材木需要がそれほどなく、より高く売れる京都をめざして「筏が山を越す」と称されたように、たくさんの材木が運ばれたそうです。

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そのため、豊臣秀吉のころ、同じ日吉町内でも大堰川の本流で、現在は日吉ダムに沈んだ世木地区に約40人の筏士がいたのに対して、田原川流域にはずっと小さな支流に過ぎないにもかかわらず20人もの筏士がいたことが、秀吉の朱印状に記されています。

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四ツ谷を過ぎて、車をもう少し北のほう、京北町田貫(たぬき)のほうまで走らせてみました。このあたりの積雪は30cmほどでしょうか。子供のころ、「田貫」を「狸」と思っていた私は、変わった地名だなあ、と思っていました(笑)

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雲が晴れて、遠くの山まできれいに見えました。

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日陰に入ると、なんともいえない蒼い景色です。これまたきれい。

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一日中、雪が降ったり止んだり。そのたびにいろんな姿を見せてくれる雪景色でした。

雪は今夜半まで降り続くそうです。大雪の被害は大変ですが、今日はしばし、こんな景色を楽しみたい、そう思えた日本の田舎の雪景色でした。

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コメント

この3連休中に日吉の某日帰り温泉に行こうか~なんて言っていたのですが…
でもこんなに雪あったんですねぇ

健康第一です

投稿: ごしゅりん | 2011年1月11日 (火) 10時02分

> ごしゅりんさん
体調はいかがですか?
こんな日には日吉温泉の露天風呂がいいですね~。
私は疲れ果ててそんな気力も残っていませんでしたが(しかも今朝は5時半起きでしたし、もう早く帰りたいばかり、笑)

投稿: harada | 2011年1月11日 (火) 21時55分

今回、ドカンと高熱が出たのと頭痛、のどの痛み、咳が主症状です。今朝から熱は無くなりました。
ただタミフルの副作用か夜あまり寝られないのと、軽い目眩のような症状があります。
高熱時を含めて食欲は普通にあるので、改めてこの記事を見ると腹が減ります

病気で何もできない時間って勿体ないですね…

投稿: ごしゅりん | 2011年1月12日 (水) 11時26分

> ごしゅりんさん
インフルエンザって、幸いいつからかかっていないのか分からないくらいご無沙汰なのですが、辛そうですね・・・。
きっとお疲れが貯まっていたのでしょう、ゆっくりと休んでくださいね!

投稿: harada | 2011年1月12日 (水) 17時30分

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