被災地を訪れて、見たこと、考えたこと(2)
上の写真は宮戸島の大浜地区。海水浴場としてもにぎわう場所だったそうです。海苔の加工業が盛んなのですが、建物は大きな被害を受け、解体・撤去が終わったところで更地が広がっています。ところどころに見える黄色い円筒形のものは、海苔の加工工場の機械の跡です。
仮設住宅をお訪ねして、いろいろお話しを伺うことができました。他地区でもおっしゃっていたのですが、復興に時間がかかってしまうのは分かるけれども、将来に希望が見えない、展望が示されないことが、一番困る、ということでした。
市は「県からのお金が・・・」、県は「国からのお金が・・・」、国は「地元の計画が・・・」と堂々巡り。根本的な意思決定の仕組みを考えないと、どうにもならないのでは、と思いました。
さて、この仮設住宅があるのは、海岸沿いの集落から隣の集落につながる道の峠の一番高いところです。
そして、この峠にはお地蔵さまがまつられています。
昔、大津波が島を襲い、この峠の両側から水が押し寄せ、たくさんの人が亡くなったという言い伝えがあったそうです。そして、その時に亡くなった人たちの霊をなぐさめるために、お地蔵さまがまつられたとか。
なので、とりあえず大きな地震があれば、このお地蔵様よりも高いところに逃げろ、というのがこの島の人たちの間で伝えられてきたことでした。
今回の地震でも、その言い伝えをみなさんきちんと守り、すぐに避難されました。「ほんとに来るのか?と思ってたけど、ほんとに来たもんねぇ」とは、仮設住宅に入られている人から聞いた話です。
そして、残念ながら島外で津波に巻き込まれて命を落とされた方はあったそうですが、この島ではお亡くなりになった方はゼロ。
昔からの言い伝えは、やはり意味のあるものだった、ということです。
津波の力とはどれくらいなのか、は想像もつきませんが、たとえばパワーショベルも海の中に引きずり込まれています。
いったいどれほどのモノが海の中に沈んでいるのか、想像もつきません。
その後、東松島市のひびき団地という、工業団地の中に作られた仮設住宅をお訪ねし、いろいろお話を伺いました。
自宅が残り、そこに留まっておられる在宅被災者のみなさん、仮設住宅に入居されているみなさん、どちらもいろいろと難しい課題を抱えておられます。そして、地域としても。
そのどれもが正しく、間違った意見はないだけに、よけいに解決が難しくなってしまっていると感じました。
お伺いした話をしっかいりとまとめて、今後の支援のあり方、あるいは地域づくり、そういったものに活かしたい、と考えています。
つづく。。。
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