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2009年6月 1日 (月)

丹波マンガン記念館

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京都市の北、今は京都市右京区となった京北町にあった「丹波マンガン記念館」を、ご存知でしょうか?

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「あった」と、過去形なのは、この丹波マンガン記念館、昨日5/31を持って閉館となってしまったのです。この丹波マンガン記念館は、戦前~戦後にかけて丹波地方にたくさんあったマンガン高山と、強制連行された朝鮮人や被差別部落民の労働者による鉱山での採掘作業の歴史を伝えてきた、個人経営の資料館です。残念ながら近年は来園者が減り、今年の5月をもって閉館することになった、とニュースや新聞で報じられました。

最終日となった昨日、私も訪れたのですが、驚いたことに駐車場に入れなかった車の列が山のふもとまで延々続いています。大阪や兵庫のナンバーの車も多く、閉館記念イベントには300人の人が訪れた、と新聞にも載っていました。私が訪れたのはイベント終了後の午後1時ごろでしたが、それでもひっきりなしに車がやってきていました。

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ゲートをくぐると、資料館があります。中には、マンガンについてのいろいろな展示や、採掘に使われていた道具、働いていた人々の証言などが所狭しと展示されています。

京都府の丹波一帯は良質のマンガンが採れることで知られていて、最高の品質のマンガンが採れた、と私も祖父から子供のころ、よく聞かされました。現在のJR山陰線・日吉駅(旧殿田駅)は、マンガンと材木の積み出しが盛んに行われていて、今の駅からは想像もつきませんが、かつての国鉄福知山鉄道管理局管内で第3位の貨物取扱量があったそうです。

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復元された飯場の前でインタビューに答えられていた李館長。お父様が作られたこの記念館を引き継いでこられたのですが、「加害の歴史をきちんと伝えることが、近隣諸国の安心にもつながり、ひいては日本の国益にもなる」とおっしゃっていました。朝鮮人の強制連行はじめ、従軍慰安婦問題や南京大虐殺など、そもそもそれが存在したかどうか、ということすら国民的な合意が得られていないのが、残念ながら現状ですが、直接・間接はともかく、なんにせよ日本という国が近隣諸国に大きな被害を与えたことは紛れもない事実なのですから、アメリカによる空襲や原爆で受けた被害=「やられたこと」を伝えることと同様に、「やったこと」もちゃんと伝える、そういうことが、結局は日本の安全保障にもつながるのではないか、と私も思います。

どう考えたって、戦争は個人の力だけで起こせるものではなく、日本がそうであるように、相手国から受けた痛みは、「国」への被害意識として残るわけですから、それを国家の関与があったとかなかったとか、そんな次元の問題で議論すべきものではないと思うのですが・・・。

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このあたりでは牛のことを「ベタ」といいます。「ベタ牽き」といって、こんな風にして採掘されたマンガンを運んでいたそうです。大体2tほど積んでいたとか。

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一番の見どころは坑道の見学。入口に向かって斜面を登っていきます。

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途中、古い行動の入口がありました。高さは屈んで進めるくらい。私の祖父母の家のまわりの山にも、こんな小さなマンガンを採る坑道がたくさんありました。

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こちらが見学コースの坑道入口。当時の入口はこの半分ほどの高さしかなく、見学用に大きく広げたそうです。

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中には当時の作業の様子がマネキンによって再現されています。このトロッコは採掘された鉱石を運搬するためのものですが、実は人力。ケーブルカーのように巻き上げ機が上のほうにある場所もあったのですが、その巻き上げ機も、電力ではなく人力だったそうで、当時の苦労がしのばれます。

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かつては手掘りで採掘が進められていて、明治ごろは柄をつけたサザエの殻に油をさしたものを、ランプ代りに使っていたそうです。

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こちらは杭入れ作業の再現。いうまでもなく大変な重労働であったことが伺えます。

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この写真、クリックすると拡大しますので、左の塩ビのパイプの後ろあたりをよくご覧ください。寝転がったように置いてあるマネキンがわかるでしょうか?こうして、寝そべって入るのがやっとの坑内で採掘作業を行うこともあったそうです。

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前を歩かれていた方のお父様も鉱山で働いておられた方らしく、いろいろ昔話を聞かせていただきました。電気も十分になく、粉じん対策もきわめて不十分だった当時の環境はどんなものだったのでしょう。

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電池や製鉄に欠かせないマンガンは、戦略物資として連合国による経済封鎖の対象となったこともあり、マンガンの増産は急務でした。そういう中で、ろくな衛生管理もなく増産に励んだことが、後にじん肺という後遺症を多くの労働者にもたらすことにもなります。

この地域のマンガン鉱山はどこも個人経営の零細事業だったこともあり、当然ながら衛生管理も安全管理も話にはならないくらい粗末なものだったそうです。が、それでも北海道や九州の大資本の経営する鉱山に比べれば、ある意味でまだまだ十分にマシな労働環境だったそうで、そういう鉱山から移ってくる人も多かったそうです。

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ちょうど見学コースの出口にあたる、別の坑道の入口には鍛冶小屋が再現されていました。鉱夫たちは自分の使うノミは、自分で修理していたそうです。

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先ほどの飯場の中。非常に粗末な作りですが、これでも大資本の炭鉱の「タコ部屋」に比べればはるかにマシだったのでしょうね。

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現在の南丹市日吉町エリアにも点在していた鉱山の数々。この中に、私の祖父母の家の近くの鉱山もあります。今では危険ということで入口が埋められて しまった坑道もありますが、子供のころは「これはマンガン掘ってはった跡やで」という話をよく聞きました。また駅の近くには精錬所の跡もありました。そう いう「地域の記憶」が、少しずつ、しかし確実に消えつつあるのかな、と思います。

最近、怖いことだなあ、と思うのが、今の中学や高校では、「入試に出ないから」という理由でほとんど近現代史を教えていないことです。縄文時代や弥 生時代を丁寧に学ぶのも、それはそれで結構ですが、外国に出て行った時に一番知っていなければ困ることは、当然ながらこの200年間ほどの歴史。誰が悪 い、自分たちはどう、という価値観にかかわる問題はともかく、客観的な事実として、何がこの200年ほどの間に起こったのか、そういうことを知らないと困るのではないか、 と思うのです。

一般人が海外に行くなんてことがほとんどありえなかった一昔前ならともかく、今では普通の会社員でも、ごく当り前に海外出張があり、その行き先の多 くはアジア諸国です。「ご近所さん」とうまくやっていくためには、お互いに気配りが必要なのは個人でも同じこと。なのに、政治的立場や歴史観は別として、「歴史」を知らない若い人が増えていることに、この先日本は大丈夫なんだろうか、と思います。

そんなことをしみじみと感じた、最後の日の見学でした。

「丹波マンガン記念館」閉館
歴史伝えて20年 市民300人別れ

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強制連行された朝鮮人労働者による鉱山での採掘作業の歴史を伝えてきた京都市右京区京北の「丹波マンガン記念館」が31日、閉館した。最終日は、追悼式やコンサートもあり、市民約300人が閉館を惜しんだ。

記念館は李龍植(イヨンシク)館長の父の貞鎬(ジョンホ)さんが1989年に開設した。坑道跡を使った坑道巡りなどで過酷な労働や歴史を伝えてきたが、財政難で閉館することになった。今後も、支援者らが歴史研究を続けていくという。

この日は、李館長が「日本の加害の歴史を伝えるべきだと訴え、20年間運営してきた。残念です。これまでありがとうございました」とあいさつし、参加者とともに鉱山で亡くなった人に対して黙とうした。訪れた人は、韓国舞踊やコンサートを楽しんだあと、展示物を見学したり、坑道を歩き、写真に収めていた。

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コメント

K都新聞の記事を読みました。

近現代史は政治的対立に繋がる部分が多く試験に出しにくい→試験に出ないなら勉強しない→歴史を知らない
という悪循環になっているような気もしますね。

但馬地方の私の祖父母宅のあった現在の養父市にも鉱山がありました。有名どころでは1円電車が名高い明延鉱山とか。今も操業しているところがあるっぽいです(精錬所?)

ほかにも山の中にぽっかり穴があり、昔採掘していたという話を聞いたりしました。

投稿: ごしゅりん | 2009年6月 1日 (月) 20時49分

>ごしゅりんさん
10年ほど前にも、戦時中に園部の工場で朝鮮人の人たちが連れてこられて働いていた、ということが「発見」されてニュースになっていました。

そういったことは、各地であったのでしょうが、おっしゃるように「政治的対立」、しかもややこしいことに、国内の政治的対立すら生んでしまうから、臭いものにフタ、ではないですが、忘れさせようとしているんじゃないでしょうか。

戦争なんてものは、悲惨なもので、そしてまた誰か一人(一国)だけに責任があるような単純なものではないのですから、多様な議論がオープンにおこなわれることこそが大事なのではないか、と思います。

投稿: harada | 2009年6月 1日 (月) 22時48分

こんな施設が京北町にあったとは、全く存じませんでした。
外では見ることが出来ない貴重な施設と思いますので、行政のしっかりとしたバックアップが在れば閉館しなくてもよかったのでは・・・と思ってしまいます。
それと自国の歴史については、負の部分もしっかり伝え、考えていくことが一等国の義務と考えます。
若い人に是非見て欲しい施設です。

投稿: ファジー | 2009年6月 2日 (火) 07時12分

 近現代史を教えてないことの弊害は旅行していても感じることが多いです。
 中国や韓国は(政治的な要素が強すぎて)別としても、東南アジア各地でも何も知らずに旅行している人があまりに多いんです。
 現地の人たちが謝罪を求めているわけではないにしても、そういった歴史があったことを踏まえていくことは必要だと思います。

 僕の友人(元旅行者で、ウガンダで知り合ったんです)が働いている小学校は修学旅行に広島に行く(新型インフルエンザ騒ぎで延期になりました…)んですが、それに備えて一生懸命現代史を教えているそうです。

投稿: クージー | 2009年6月 2日 (火) 07時58分

こんな施設があるとは、全く知りませんでした。
近代史を学ぶことを疎かにしている現状は、本当に嘆かわしいと思っています。
陰謀か?と思うくらい、伝説前後の歴史を丁寧にし、今の日本を確立した20世紀を放ったらかし…。
近隣諸国から見ると、「歴史を知らない日本人」と思われちゃうんでしょうね。

貴重なレポ、ありがとうございます!

投稿: Takeuchi | 2009年6月 2日 (火) 22時06分

>ファジーさん
京北町、そもそもなんであそこが京都市やねん、というツッコミはさておき。。。

しっかりした覚悟をもって世の中に伝える義務が、今を生きる世代のつとめだと思うのですが。。。

たしかに地域にとっては触れたくない過去かもしれませんが、それも一つの大事な歴史として伝えていくことは、大事なことですし、結果的に地域にとっても重要な観光資源にもなれただろうに、と思います。

投稿: harada | 2009年6月 3日 (水) 10時04分

>クージーさん
プロジェクト保津川の理事を一緒に勤めている大学の研究者も、やはり同じことを言っていました。東南アジアの国に行った時に、そこでこの200年くらいの間に何があったのかを知っておくことは大事なことなのに・・・、と。

別に日本だけが悪かったわけじゃないんです(日本が偉かったわけでもないし)。とにかく、何があって、それが今にどう影響しているのか、知っていないとビジネスだってうまくいかないと思うんですが。。。

投稿: harada | 2009年6月 3日 (水) 10時06分

>Takeuchiさん
いや、ほんと陰謀か、と思いますよね。知らないことほど怖いことはないと思うのです。

そして、政治のこの体たらく。大正デモクラシーが衆愚政治に陥って、結果的に軍部の暴走を許した、ほんの100年前と同じ道を静かにたどっているように思います。

投稿: harada | 2009年6月 3日 (水) 10時08分

先日、高嶺格さん(芸術家)の「在日の恋人」という本を読み、このマンガン記念館を知りました。本の主題としては、高嶺さんの芸術作品である「在日の恋人」が主軸となったものですが、この作品を作るに当たり、記念館館主の李さんには相当お世話になったとありました。本の中でも、マンガン記念館のことに触れてあり、非常に興味を持ったのですが、既に閉館したと知り残念で仕方ありませんでした。
このブログのおかげでマンガン記念館の様子や、存在した理由がすこしわかりもどかしさがすこし、すっきりしました。
時代や流行りとともに本当に見失ってはいけないものを見失っていってしまうことは怖いですね。
ネットを通じて個人単位でも発信していくことが必要なのかもしれませんね。
20才の若輩者ですが、コメントさせていただきました。

投稿: やす | 2011年4月10日 (日) 22時24分

>やすさん
お返事遅くなり申し訳ありません。マンガン記念館、現在、再開に向けた取り組みも有志の人々によって進められています。いろいろ、政治的な思惑も絡んで難しい面がないわけではありませんが、それはそれとして、日本人として出来ることなら知らなかったことにしておきたい、こういう負の歴史も、事実を事実としてしっかり後世に伝えていくことが大事だと思います。

震災以降、政府や大手マスコミの報道が必ずしも信頼のおけるものではない(正しいかどうか、とは別の問題として)ことが明らかになった今、じゃあ私たち一人ひとりはどうやって情報を伝え、見極めていくのか、が問われているように思いますが、それは自分や周辺の国の歴史についても同じことじゃないのかな、と思います。

投稿: harada | 2011年4月13日 (水) 19時42分

戦前、戦後もずーっと掘っていた炭鉱がなぜ朝鮮人云々になるのですか?個人経営の炭鉱で強制労働なんてものが有ったら普通に犯罪ではないでしょうか、訴えは起こされたのでしょうか?

炭鉱が厳しい労働現場だと言うのは現代でも変わらない事です、日本人が最前線でやせ細り餓死していた戦時下に朝鮮人は健康管理も適当だったと語り継げという話しですか?

戦争に参加した国家、植民地で人口ピラミッドに傷が残っていないのは朝鮮ぐらいだと思います、なぜ、そのような国が世界最大の被害国のような雰囲気なのでしょうか?

投稿: へえ | 2016年8月25日 (木) 15時18分

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