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2008年3月 1日 (土)

最上川紀行 その3

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今日は山形から新庄、最上川下りへ。一面の雪の中を列車は進みます。

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サクランボ畑の巨大ビニールハウスの横をかすめたり。

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雪に埋もれた駅のホームを眺めたり。

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新庄からは陸羽西線に乗り換えです。

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鮭が還ってくるから、鮭川。

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そして最上川を渡ります。最上川を渡ると、古口駅に到着。

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みなさん、足元に気をつけて下車。

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駅からしばらく歩くと、乗船場。その途中でこんな看板発見。「国保発祥の地」。ここ戸沢村は国保発祥の地なんだそうです。僻地で医療などの社会保障もままならかったころ、相互扶助を目指して創設されたのが村の健康保険組合制度。国保がスタートしたときに、その第1号の指定を受けたとか。(戸沢村のホームページより

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さて最上川下りの乗船場。かつての戸沢藩の船番所を復元したもの。建材は、最近まで造り酒屋だった建物の柱などを移築したもので、重厚な建物です。

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聞き取り調査の前に、実際に船下りに乗せていただきます。

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本日のガイド、船頭の荒川さん。御年70歳、見事な民謡を披露してくださいました。

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天然杉の散在する森。樹齢は400年以上だそうです。

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北からの強い風にあおられて、白い波が逆立つ最上川。斉藤茂吉が呼んだ「逆白波」とはこんな感じだったのでしょうか。

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白糸の滝。義経伝説の地。

古口乗船場に戻る中で船頭さんから、乗船場に戻ってからは会社の方から最上川のゴミ問題についてお話をいろいろと伺いました。

「自分たちの職場なんだから掃除して当たり前」と異口同音におっしゃいます。ときには地域の、あるいは地域外の人たちとも一緒に清掃をされているとか。さらには、船頭さんとして、船を使ったよその地域の清掃にも出かけられるとか。もちろん、本業の船下りをきちんとしながら。

ずっといろいろな方にお話をうかがう中で、みなさんが異口同音におっしゃるのは「最上川が好きだから」。自分たちが出来ることを、自分たちのやり方で。

決して肩肘張った環境保全運動などとは違う、普段着の自然への接し方、とでもいうのでしょうか。

山形の人の、最上川とのかかわり方、素敵だなあ、と思います。

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さて、お話を伺ったあとは新庄に戻ります。

東北の駅百選にもえらばれた古口駅。実は、ここの駅のトイレも船頭さんたちが仕事前にボランティアで掃除されているそうです。そして駅の清掃も地域の人たちみんなで。

びっくりしたのが、ゴミ箱がないのに、ゴミが一つも落ちていない、ということです。「ゴミの持ち帰りにご協力ください」と張り紙がしてあるだけ。そりゃ、何もしなくてゴミが一つも落ちていない、ということはないとは思います。でも昼間以外は無人駅、そして観光客もたくさん乗り降りする駅です。

でも、ゴミ一つ落ちていない駅に、ピカピカのトイレ。

考えさせられることがいっぱいです。

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列車を待っていると、吹雪が激しくなってきました。信号が雪煙の向こうにかすんで見えます。

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やや遅れて列車が到着。

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夕闇迫る中を新庄目指して列車は走ります。まさに「蒼い」車窓。

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新庄駅に到着した列車の側面。巻き上げた雪がびっしり。

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船頭さんに教えていただいたホテルにチェックインした後、夕食はホテルの人に教えていただいた近くの「竹亭」へ。暖簾が待っているのは、吹雪のせい。

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カジカのから揚げ!最上川食文化体験ですな(笑)

今も現役の川漁師さんが活躍されていて、カジカや鮎、サクラマスなんかを捕っておられるそうです。

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青菜のお漬物。これまたお店ごとに味が微妙に異なっていて、美味しいのです。

山形の風習の一つに「芋煮会」というのがあります。春のお花見よろしく、9月~10月ごろ、みんなで最上川の川原なんかで「芋煮」を食べる会。家族で友達で、そして学校で(!)何度も何度も行くそうです。

ちなみに上流の山形では里芋と牛肉をしょうゆ味で、下流の酒田では牛肉ではなく豚肉、しょうゆ味ではなく味噌。中間の新庄あたりは、そのどちらも。かつては早い時期は里芋じゃなく、ジャガイモで秋が深まってからが里芋だった、とか、お肉は鯨だった、とか、お店の方やお客さんに教えていただきました。

そんな愛される川だから、みんな大事にするのかな、と。

ホテルの方は、町内会や子ども会で、年に2回はそれぞれの地域でみんなが掃除会をしているよ、とか。

そして山形の歴史を語る上で欠かせないのが米沢藩主にして江戸時代屈指の名君・上杉鷹山。破綻寸前の藩財政を建て直し、武士や庶民の別なく教育を広めた鷹山。皆さん、藩校の興譲館を誇らしげに語られます。彼が家訓とした伝国の辞、

一、国家は先祖より子孫へ伝候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候右三条御遺念有るまじく候事

その精神をもって治められたことが、今もなお人々の心の中に生きているのではないか、そう思わざるを得ない人々との出会いです。

つづく。。。

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