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2007年5月 4日 (金)

光秀祭 その2

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光秀祭では、武者行列ももちろん見ものですが、今年から行列のルートが変更になったのにあわせて、通りに面した家々では、古い武者人形や鯉のぼりを家を開放して展示されるようになりました。

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おなじみの鎧冑の五月人形とは違う、まさに京都スタイルの五月人形。牡蠣の殻が原料の顔料である胡粉で描かれた顔はしっとりとした上品な輝きをはなっていました。現在ではこの胡粉は非常に貴重で原料となる岡山県内の瀬戸内海に生息するイタボガキはダム建設などの影響で絶滅寸前だとか。胡粉を作っている業者さんも、宇治にたった一軒を残すのみだそうです畠山重篤「牡蠣礼讃」より)

日本画や日本画を彩ってきた、オイスター・ホワイトともいうべき日本の白、何とか絶やさないようにして欲しいものです。

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さて、亀岡といえば、「丹波の祇園祭」として知られる秋のお祭りが有名です。特別に高砂山が展示されていました。

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城下町らしい町並みが残る辻々には、ちょっとした案内板も掲げられていて、往時を偲ばせてくれます。

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本日2つ目の目的は、ここ楽々荘。普段はとても手が出ない?、超高級旅館ですが、今日は無料のお茶会が開かれているのです。

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山陰線の前身である京都鉄道や、関西電力の前身の京都電燈、あるいは京都銀行の前身である亀岡銀行、京都証券取引所の前身の京都株式取引所など、多くの事業を手がけた明治の実業家である田中源太郎の邸宅だった建物です。(詳しくはこちら)。

見事な回遊式池泉庭園は、山縣有朋の別 荘「無隣庵」や平安神宮神苑などを手がけた七代目小川治兵衞 の作だそうで、開放的な雰囲気がとても気持ちの良い空間です。今日は「躑躅の茶会」と題して、見事な盆栽の躑躅も目を楽しませてくれます。ちなみに夜には狂言会も催されました。

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ほかにも、源太郎が収集した亀山城ゆかりのものが多く残っています。明智光秀の築城による亀山城ですが、本能寺の変の後には豊臣家のものとなり、羽柴秀勝、さらには小早川秀秋が城主に任じられ、城代として石田三成や前田玄以なども入城しています。そして、その豊臣の紋の入った大きな石燈篭や鉄の井筒が庭園に残されているのです。

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楽々荘を出てしばらく歩くと、亀山城の大濠である南郷池に出ます。今日はフリマーケットや屋台が出てにぎやかでした。

以上、光秀祭レポでした。    

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