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2007年4月12日 (木)

ぶらり北野界隈

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今日は久々の休日。午後、北野界隈をぶらぶらしてみました。

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北野白梅町でバスを降り、一条通を東に歩くと、なにやらいわくありげなお堂があります。「椿寺」という名前のそのお寺は、行基により創建された後、場所を転々とし、やがてすたれてしまいますが、足利義満が金閣を造営した際に、その余財で再建されます。そして秀吉の京都大改造の折りに、現在のこの場所に移転したとか。

境内には、秀吉の朝鮮出兵の際に、加藤清正が持ち帰ったという椿が植えられています。現代は二代目の椿、もちろんこの時期は花が散ってしまい、掃除の真っ最中でした。
他にも境内には忠臣蔵で有名な商人天野屋利兵衛の墓や与謝蕪村の師である夜半亭巴人の墓があります。

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一条通をさらに東へ進むと平安京の方除守護神として有名な大将軍八神社があります。その向かいのお寺の枝垂れ桜も見事な花を咲かせていました。

さて、今出川を越え、上七軒へ向かいます。本日の第一のお目当ては、千本釈迦堂。

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正式な寺名は大報恩寺で貞応2年(1223)義空上人がこの地で念仏の道場を建てたのが寺の始まりでした。ここは応仁の乱で西軍の中心地でありこの寺にも兵火が及びましたが奇跡的に焼けず、洛中最古の建築(鎌倉時代)が残る寺として、また、藤原・鎌倉時代の仏像を多く有する寺として有名で、国宝にも指定されています。

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が、私たち庶民に「おかめさんゆかりの寺」として有名でしょう。本堂の建築を請け負った大工の棟梁、長井飛騨守高次が貴重な柱の寸法を誤って切ってしまいました。頭領の妻、おかめさんは「短い一本に合せ全部の柱を切れば」と助言をしました。その後、夫の失敗を人に知られてはと思い、本堂の完成を待たずに自殺してしまいました。

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千本釈迦堂の境内に咲く大きな枝垂れ桜は、この伝説にちなんで「阿亀桜」と名づけられました。おかめさんの像の前に、彼女を見守るように植えられています。

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人々は女心のいじらしさを憐れみ、おかめの供養塔を本堂の前に立てました。京都では、現在でも家の棟上げにはおかめの面をかざる習慣があり、おかめ塚は全国の大工さんの信仰を集めています。(2月には「おかめ節分」という行事もありますよ)

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鎌倉時代の建築である、釈迦堂の本堂。応仁の乱の時、この付近は西軍の中心部であったが、西軍と東軍の特別のはからいから庇護を受け、本堂が残されたといわれています。本堂に入ると、柱にたくさんの傷がついていますが、これはその当時の刀や槍によってつけられた痕だとか。

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西陣の町並みを眺めながら、次は北野天満宮へ。

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ちょうど文子(あやこ)祭の神事の最中でした。文子さんとは、巫女さんの名前。菅原道真が亡くなってしばらく後、菅原道真の霊が、彼女に現在の北野天満宮がある辺りに自分の魂を祀ってくれ、と告げたとか。

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彼女はとりあえず自宅(千本七条あたり)に道真の霊を祭ったのですが、それが北野天満宮のルーツになります。彼女の自宅もまた文子天満宮として親しまれてきましたが、明治6年に、北野天満宮の境内に移されたそうです。

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北野天満宮の境内を通り抜けると、洛中一の桜の名所として有名な平野神社。

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ここにはさまざまな珍しい桜が植えられています。

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▲庭桜

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▲大内山

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▲胡蝶

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▲白雲桜

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まるで桜のトンネルです。

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北野白梅町の駅から、嵐電北野線に乗って帰ります。

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途中、鳴滝駅~宇多野駅間は桜のトンネルとして親しまれています。最近ではライトアップもされています。

以上、少しリフレッシュ、2時間弱のお散歩でした (^^ゞ

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