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2005年11月 1日 (火)

水戸藩邸跡

mito 今日は,京都の水戸藩邸のお話を.(って,今日の写真を撮れなかったわけなのですが)

黄門様でおなじみ,徳川御三家のひとつ水戸藩の京屋敷は,御所のすぐ隣,烏丸上長者町上ル,護王神社のすぐ北にあります.

幕末の動乱期,江戸時代最後の天皇である孝明天皇が1858年9月14日(安政5年8月8日)に水戸藩にある勅書を下賜しました.

この勅書は,いわゆる密勅とよばれる,関白の裁可を受けない,非公式の手紙で,万里小路正房より水戸藩京都留守居役鵜飼吉左衛門に下り,その子鵜飼幸吉の手によって江戸に運ばれ,水戸藩家老安島帯刀を介して,水戸藩主徳川慶篤に伝えられました.

その内容は

  • 勅許なく日米修好通商条約(安政五カ国条約)に調印したことを責め,詳細な説明を求めること.
  • 御三家および諸藩は幕府に協力して公武合体の実を成し,攘夷を推し進る幕政改革を求めること.
  • 上記2つの内容を諸藩に廻達せよという副書.

の3つからなっていたそうですが,幕府の臣下であるはずの水戸藩へ朝廷から直接勅書が渡されたということは,幕府にしてみれば威信が傷つけられたということであり,幕府は勅状の内容を秘匿し,大老井伊直弼による安政の大獄を起こす引き金となりました.とりわけ,鵜飼吉左衛門からの安島帯刀宛の手紙には井伊暗殺の秘事が記されていたとされ,幕府側にその書状がわたったことで,ご存知のように安政の大獄は厳しい処分となり,命がけで勅状を江戸まで運んだ鵜飼吉左衛門父子も安政の大獄で命を落とします.

その後,時代は明治維新へと大きく動くことになるのですが,まるでそんな大動乱の時代がうそだったかのように,今はこの場所もホテルになり,小さな石碑が残るだけです.

...しかし,御所の木々が,秋も深まったというのに,まだまだ青々としていますねえ.

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